さとやんです。ところどころ寒い日もありますが、すっかり春になりました。
今回から浄土宗の開祖である法然の主著『選択本願念仏集』[せんちゃくほんがんねんぶつしゅう、と読む](以下、『選択集』)の私なりの解釈をここに掲載したいと思います。
私自身は浄土教学や浄土宗学をやったわけじゃないですから、あくまでも個人的な読解に基づく解釈です。
それではこれより解釈を載せます。今回の記事では著作全体に関して書きます。
『選択集』で法然が言いたいこと
ここでは『選択集』全体が何を主眼に書かれたのかを考察したいと思います。
『選択集』の書かれた理由
法然は浄土宗の開祖として知られています。
浄土宗以前の日本の仏教は、すべて中国にもともとあった宗派から教えを受け継いだ形をとっています。奈良時代の仏教である南都六宗も、平安時代初めに最澄がはじめた天台宗も、空海がうちたてた真言宗も、すべて中国に同じ宗派があり、それを日本に伝えた開祖たちが教えを引き継ぎ、発展させたのです。
ところが浄土宗に関していえば、中国では浄土宗という宗派は存在していませんでした。
法然が一番影響をうけた仏教者が唐代の仏教者である善導という人なんですが、この人は浄土教の成立に大きく寄与しているものの、独自の宗派を立てるまでには至りませんでした。善導は念仏の重要性にいち早く気づいた人でして、法然が浄土宗を立宗するための土台となる教えを提供した、といえるでしょう。
中国にない宗派を法然は浄土宗としてうちたてた。これは法然が生きた時代において、前例のないことでした。
通常宗派をうちたてるには、開祖と呼ばれる人たちが教相判釈という、自分たちが最も大事にする教えとその根拠について著作にして発表することが、中国では大事にされていましたし、日本でも最澄と空海はそれぞれ教相判釈の著作があります。
法然のパトロンにあたる九条兼実という貴族がいたのですが、その人から念仏が広まる中、浄土宗の正当性を示すための教相判釈の書を書くことが法然に要請されました。それに応えて書かれたのが、『選択集』というわけです。
『選択集』の主張
では『選択集』の中には何が書かれているのか。
とても短い言葉でまとめると、仏の教えが理解できない末法の世界において、阿弥陀仏の本願に基づく念仏のみが、仏教の目的である悟りを達成する修行法である、といったことが書かれています。
末法と本願念仏、浄土門といった三つの言葉がキーワードになります。
末法とは、仏が初めて現れた時代から時間的にとても離れているので、経典は残っていて仏の正しい教えが残っていても、人々がその教えを理解する力がない、という時代です。
末法には人々は正しい教えが理解できない。これを裏返せば、正しい教えの通りに修行して経典を読んでも、悟りは開けないということになります。人々は自分の無力感に打ちひしがれていた時代が、法然の生きた時代なのです。平安時代末から鎌倉時代初による社会と人心の荒廃も、これに追い打ちをかけたことでしょう。
法然はそのことをまず認めなさい、といいます。無力な自分の立ち位置を自覚せよ、というんですね。
これを自覚してはじめて、末法における無力な自分ができることはなにかを理解できる、というんです。
それが本願念仏です。阿弥陀仏が仏になる前にたてた誓願[必ずなす誓いのこと]に四十八願というものがあり、その中の十八願が本願念仏といわれるものです。
阿弥陀仏の名前を称えることで、浄土に往生できることを確約する、という阿弥陀仏の誓いが十八願なんですね。
そして極楽浄土に往生するために念仏を行うので、浄土宗は念仏門とか浄土門と呼ばれます。
法然はこの浄土門に入れ、ということを『選択集』で進めています。
おそらく法然が念仏を重視したのは、末法の時代に、苦しむ人々をもっとも救済できるのは念仏に他ならないという確信があったからでしょう。それが大乗仏教の精神に則ったからこそ、法然は念仏を手段としてたてたのだといえるでしょう。
本当の概要はこんなところですが、次回は一章以降の読み方を見ていきたいと思います。
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