世界一役にたつ哲学を学ぶ
どうも、一月になってますます寒くなってきましたね。哲学エバンジェリスト高橋 聡です。
前回の書評は茂木誠著『世界史を動かした思想家たちの格闘』でした。未読の方は是非下の記事をお読みください。
Twitterでの要約
いつもどおりTwitterに書いた要約を見ていきましょう。
『#哲学はなぜ役に立つのか?』#萱野稔人
— 哲学エヴァンジェリスト高橋聡 (@Miyazatost)
“哲学というのは概念を使って考えること”と断言する作者。哲学という知の営みが時事を考える上でも、非常に”役に立つ”ことを示してくれる良書。ぼくが特に感銘を受けたのは、戦争についての哲学的考察で、経済や軍事をここまでうまくまとめた解説は必読。
2019年1月10日
この要約でも触れていますが、様々な時事問題を考察する上で有用な哲学の用い方をこの『哲学はなぜ役にたつのか』では示してくれています。
『哲学はなぜ役に立つのか』の第2講では、ルールと哲学の関係が述べられています。ここもぼくがとても刺激を受けた箇所です。ちょっとこの第2講の内容について見てみましょう。
ルールと哲学
ルールと哲学の貧困
あなたはルールと聞くと、何か守らなければいけない固いもののイメージを抱いていませんか?ルールを守ることは当たり前で、そこに哲学的考察など入る余地がない。
ぼくも『哲学はなぜ役に立つのか』を読むまではそう思っていました。ところが、そうではないのです。
まず著者の萱野さんは次のように述べます。
日本ではルールというものに対する認識がものすごく低く、それが国際社会における日本の外交力の弱さにつながっています。そして、それは同時に、日本における「哲学の貧困」とも無関係ではありません。
たとえば中学校の校則のなかに誰がみても理不尽なものが含まれている。それを生徒に強制させるために教師は指導するのです。
ところが、ルールとは本来的な意味では”取り決め”なのです。守るもの同士が合理的な話し合いで決める”取り決め”がルールなのですから、理不尽な校則はその都度改定されるべきです。ところが日本では、その理不尽なルールを強制させようとする。
ルールはルールである以上、強制力をもつのが問題なのではありません。
では理不尽な校則の場合は、何が問題かというと、ひとことでいうとルールに従わなくてはいけない”根拠”が示されていない点です。
この根拠が示されれば、ルールの正当化がなされ、人々が納得してルールを守るのです。
萱野さんは次のように言います。
ルールが正当化されるには、それを根拠づける概念の働きが不可欠なのです。
でも日本社会では概念によるルールの正当化が重視されないんですね。だから、理不尽な校則が存在するんです。
そしてそのルールを変更しようとする動きもあまりありません。概念の働き(哲学的考察)を重視せずにルール作りをしないから、この状況は「哲学の貧困」でもあります。
著者の萱野さんは日本のこの状況がそのまま国際社会のルール作りで日本がとても弱い立場にある一因だとみます。
哲学の貧困への対策
その上で必要な対策は本書『哲学はなぜ役に立つのか』ではあまり触れられていません。ぼくが考えるに、この状況への対策として有効なのは、ずばり哲学教育でしょう。
今の日本の風潮では、空気を読むなどということばかり求められています。
ところが世界的にみれば、言葉を発せずにその場の雰囲気を察するということは重視されず、積極的に発言していくことが重視されます。
文化が同じなら、ある程度空気を読むことは可能かもしれませんが、異文化圏の人たちに対して自分の意見を表明するには明確な言語化が必要なのです。空気を読むだけだと自分が空気になってしまうのです。
明確な言語化の核にあるのが、概念を用いる能力です。それには哲学や近接学問を学ぶのが一番。
オープンに哲学的議論を話せる場所をもっと作る必要があります。
他に着目すべき点
『哲学はなぜ役に立つのか』は面白い論点をたくさん含んでいて、どこを読んでも知的刺激がある本です。その中でも、ぼくがとくに良いと思った点を挙げてみましょう。- 国家の最も特異な点は、市場の論理とは異なる方法(徴税)でお金を徴収できること(第3講)
- 資本主義の歴史とは、各時代の覇権国が軍事力を背景に市場経済の枠組みを決定し、市場経済をコントロールしてきた歴史である(第12講)
- 文化相対主義を外交の場で主張しても、普遍主義に負ける(第17講)
- 日本は再分配で世代間格差が広がってしまう特殊な国(第19講)
- 大きな軍隊があるからマクロ経済的には戦争の経済的メリットはなくなった(第20講)