自らの不自由さを知ることで、自由になる
どうもこんばんは、たかはしさとしです。今日は在宅ワークでした。寒さも落ち着いているとはいえ、やはり寒いですね。風邪やコロナ、インフルエンザにもくれぐれも気をつけましょうね。
前回の記事
熱意を持って取り組むことの大切さを考えました。まだ読んでいない方はぜひ読んでみてください。
人間の不自由さ
人間は当然全てにおいて自由に存在しているのではありません。先天的に決まっているものは自分で選択のしようがありません。自分の親や家庭環境、遺伝子、訓練で伸ばせない能力などは自分で決めることができませんよね。さらに社会的に決まっているものもまた、自分で決めることはできないか、かなり難しいでしょう。
子どもの時、おもちゃを自分のものにできなくて泣いたり、駄々をこねたりしたことのあるひとは多いと思います。人間には本当にたくさんの不自由が身の回りにあります。
不自由と自由
でも不自由さがあるからこそ、その不自由を乗り越えるために成長しようとすることができるのです。これがもし全て自由にうまくいくと仮定すれば、およそ成長などは不要で全てが手に入ってしまいます。不自由を乗り越えるための成長こそ、実は自由の正体なのだ、とぼくは思うんです。
ドイツの哲学者イマヌエル・カントは次のように言いました。
傾向性に抗ってより正しい選択をすることが自律である。
傾向性とは悪へと流れる欲望のことです。また自然な欲望でもあります。そしてカントにおいては自律とは自由と同義なのでした。
だから自然に流されている傾向性に反対して正しい選択をすることこそ自由だ。
とも言い換えることができるのです。
不自由にこれを当てはめると、不自由より自由の方が好ましいことだと考えると、不自由に抗って成長して自由を手に入れることは、真の自由だ、と言えるのです。
だからこそ私たち人間は、不自由を乗り越えて達成することができた瞬間に、自由を感じるのです。
より多くの自由を目指そう。
以上、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
たかはしさとししるす