尊徳の考え方とカント哲学との親近性|二宮尊徳『二宮翁夜話』を読んで1ー202501

儒学


二宮尊徳『二宮翁夜話』を読む

とある読書会(人間塾in関西)の2025年の塾頭を拝命し、二宮尊徳『二宮翁夜話』(以下、『夜話』)を読みましたので、その感想をシェアいたします。

実際には『夜話』は二宮尊徳の著作ではなく、その弟子である福住正兄が尊徳公が語った言葉で特に印象に残った大事なものを、後世の人々に伝えるために書かれた、いわば二宮尊徳の言行録です。

江戸時代の口語で語られているため、書かれている内容も論旨を理解しやすいと私は感じます。現代語訳の文を読んで、言っていると感じるのが難しい文章はあまりありませんでした。

とはいえ、やさしい言葉で語られていて、内容も理解しやすいとはいえ、それを実践するのは至難の技だし、まして尊敬の眼差しの弟子たちに教えを口で伝えられる人物は、日本の有史以来、二宮尊徳だけでしょう。

まず、ここに二宮尊徳の凄さを感じます。いかに福住正兄が尊徳に敬意を払っていたか、ひしひしと伝わってきました。

全ての言葉が非常に趣深く、非常に考えさせられる内容ですが、特に気になった部分をここでは記しましょう。

人道・天道の別

まず、二宮尊徳は人道と天道を明確に区別します。

人道とは、その名の通り、人が行うべき道です。理想の人の在り方を示すのが人道です。人為的で、社会的な規範のことをイメージすると良いでしょう。例えば礼や道徳などまさにここにあてはまります。尊徳は特に農業をこの人道の代表的なものと考えています。

対して天道は、自然のあるがままの在り方と考えると良いでしょう。大雨が降ると、下流には水が流れ込み、洪水を起こして田畑の耕作物が流される。こうしたものは天道です。

この洪水の例を考えると、天道だと洪水で作物は流され、食べ物は不足します。人道だと農耕や治水、河岸工事などをしてしっかり準備して、天道のままにならないように人為的に手を加えます。自然では当たり前のことも、人道ではむしろその被害が生じないように予防、対策を行います。尊徳はここに人間的営為の尊さを見ます。

これはいうならば、人間が自然に流されないように努める努力を推奨する思想だと言えるでしょう。

二宮尊徳とカント

僕が感じたのは、こうした尊徳の考え方は、ドイツの哲学者イマヌエル・カントの思想と近しい部分があるということです。

カント認識論の概要

カントの認識論は、そのままカントの道徳論と繋がっています。

カントの認識論の肝要なところは、世界は二つの世界に分かれるということです。物自体の世界と現象の世界です。物自体の世界は、人間が見る前の世界の本質であり、人はこの物自体を五感を通して把握します。物自体の世界は、いうならば理性の世界であり、逆に現象の世界は感覚の世界です。

カント思想のキモは、この二つの世界が道徳論、自由論と接続されているところです。

自然法則と道徳法則

あまり長くなりすぎないように説明すると、カントは感性の世界は自然法則に支配されていて、理性の世界は道徳法則に支配されていると考えました。

自然法則は人間だけじゃなく、動物や植物、その他の有機物や無機物、さらに天体や原子、分子なども従うべき法則です。代表的なものが物理学が対象とする物理法則です。感情や感性と言ったものも、この自然法則から起こるものと考えました。感情に基づいて行う行動は、自然法則に則って行われるものだというんです。

対して理性の世界は、人間だけが考えることの世界だ、とカントは考えたんです。理性能力は道徳的な判断の源だといい、例え感情でどう思おうとも、理想的な行動は何かを考えることが人間はできるんだ、というんですね。感情ではこっちに流されそうだけど、自分が理想的な行動を考えてそちらを選択するとき、人間は自由だというんです。だからカントは崇高な行為とは、感情と理性の判断に葛藤があった時、理性の判断を選び取ることだというんですね。

二人の思想の親近性ー人間的営為の尊さ

二宮尊徳の天道と人道は、それぞれカントのいう感性の世界と理性の世界に対応すると考えると、非常に近しいことを言っているように、私は感じてしまいます。

こう考えると、人道的行為の極に当たる農業は、かなり崇高的行為だと見做しうるでしょう。

そもそも天道と天道に沿った判断、つまり自然が危険で、どうせ対策してもすぐに潰れてダメになる、だから諦めて自然災害への対策工事を行わない、というのは天道には沿っているかもしれないけど、それは人道では決してない。農業や治水などを行うことに人間の尊さはある。

カントの言葉で置き換えると、感じたままに自然災害への対策を怠ることは、自然法則に流されている行為であり、そこに自由も人間の尊厳もない。自然対策が困難で、手間がかかることであることを知りつつも、あえてその対策を行うことが理性的判断である。そこに人間の行為の尊厳と自由があると言えるでしょう。

カントだけではなく、二宮尊徳の天道と人道の峻別は、西洋思想の考え方に対抗する日本の思想、哲学となりうる可能性をもったすごい教えだと思います。

こうした日本の江戸末期に活躍した二宮尊徳の考え方を知り、その思想を考えることで、日本独自の思想がそこにあるのを知り、大変勉強になりました。別の部分もまた書きたいと思います。

以上、お読みいただき、ありがとうございました。

さとやん

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