『選択本願念仏集』の読み方:第二章引文・私釈2

仏教


さとやんです。前回に引き続き、今回も『選択集』の読み方をみていきます。
今回は第二章の二つ目の引文とその私釈をみていきます。

まず前回までのシリーズ記事の確認です。

①『選択本願念仏集』の読み方:概略
②『選択本願念仏集』の読み方:各章の意図
③『選択本願念仏集』の読み方:標題
④『選択本願念仏集』の読み方:第一章引文
⑤『選択本願念仏集』の読み方:第一章私釈
⑥『選択本願念仏集』の読み方:第二章引文1
⑦『選択本願念仏集』の読み方:第二章私釈1

リンクを貼っておきますので、こちらも読んでいなければ、確認していただければ、良いかなと思います。

 

第二章の二つ目の引文と私釈

引文2の要旨

善導大師の『往生礼讃』という著作に次のような言葉があります。

もしよく念仏を生涯にわたって唱えつづければ、命が終わるときも、絶対に浄土に往生することができる。

なぜかというと、正しい想いを間断なく持ち続けることができているからである。

あるいは本願に相応した行を行うことができているからである。

また阿弥陀仏とお釈迦様の教えの通りに行っているからである。

正行に専念しなければ、本当にまれにしか往生することができない。

ただ一心に正行を行うものは、必ず往生できるのだ。

往生を目指して正行を行う人々は、よくこのことを考えないといけない。

どんなときも、ただ浄土に生まれることを願い、正行以外の行を行わないように心掛けなさい。

私釈2

この文章を見ると、やはりますます雑行を捨てて専行を行うべきだとわかる。

なんで絶対に往生できる正行に専念することをやめて、雑行ばかりに目をとどめてそればかりやることができようか。

念仏の行者はよくこのことを考えよ。

コメント

浄土に往生するには、善導大師も法然も正行に専念することを強く勧めています。

あえて往生するのに不利となる雑行を行うことに煩わされてはならない、というのです。

この阿弥陀仏に対して絶対的に正しいと信じる姿勢も目を見張るものがありますが、

彼らは自分が浄土門に入るきっかけがない人には無理に教えを押し付けない点が強く、

その点も非常に興味深い点だと私は感じました。



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